眺めのいい部屋 完全版
原題 | A ROOM WITH A VIEW |
出演 | ヘレナ・ボナム・カーター、マギー・スミス、デンホルム・エリオット、ジュリアン・サンズ |
監督 | ジェームズ・アイヴォリー |
製作 | イギリス/1986年/117分 |
分類 | ドラマ、ラブロマンス |
感想 | ★★★★☆ |
| [ レンタル詳細 ] | |
story
英国中産階級生まれの令嬢:ルーシー・ハニーチャーチは、付添い人のシャーロットとともにイタリアのフィレンツェに赴いていた。しかし訪れたペンションは事前の約束と異なり眺めの悪い部屋だった。食事の席でふと漏らした不満を耳にした気の良い親子(息子と父親)は、気安く「眺めの良い僕達の部屋と換わりましょう」と持ちかけるが、彼らが身分の違う労働者階級に属することにためらいを感じたシャーロットはその申し出を断ってしまう。彼女は何よりルーシーを「身分違いの恋の危険」に近寄らせることを恐れたのだったが…。1908年に出版されたE・M・フォースター原作。(原題:A Room with a View)
review
おや、意外なところで「ヘレナ・ボナム=カーター」つながり。
(前述レビュー「コープス・ブライド」参照の事。)
1966年生まれのヘレナ・ボナム=カーターは、このとき20歳のピッチピチ。
意志の強いまなざしに、透けるように白い肌の色、そしてはち切れんばかりに柔らかな頬の薔薇色。
これほど原作にぴったりなキャスティングもないだろうと思える。
まさしく見るからに「純真無垢な世間知らずのお嬢さんが、今から”恋”のある場所に足を踏み入れますよ」というふうに、観ている者のワクワク感をそそられてしまうのだ。
付添い人であり、素行の監督官でもあり、何よりルーシーの母親からじきじきに令嬢を任されているプライドから、シャーロットは自分に出来る限りの防御策を張り巡らせるが、その隙を突き目と目を見交わしあってしまう一組の男女。
どちらかと言えばルーシーは、生まれながらに培われてきた道徳心から素直に彼のまなざしを受け入れることができないのだけれども、ほとんど一目惚れの形で純真に自分に向かってくるジョージの気持ちを跳ね除けきることもできずにいた。
とにかくジョージという男は天真爛漫で、彼女のことが「好き」という気持ちを何のためらいもなくひたすら前面に押し出してくるのだ。
挙句の果てには(なかば無理矢理)彼女のキスを奪ってしまう。
またその初めてのキス・シーンが、観ているこっちがクラリとよろめいてしまうくらいに情熱的なキスなんです。
けれども、全身から「きみのことが大好き♥」光線を照射しまくっているものだから、たとえ無言でいきなりキスを奪っても、ちっとも乱暴な感じはしないし、むしろ「ああ、もう、ほんっとに好きなんだね〜」と納得してしまうやら、感心してしまうやら。
もちろん突然そんな暴挙に出られてしまったルーシーは、世間一般の令嬢が示してみせるとおりに全身の毛を逆立てて拒絶して見せるのだけれども、表面上の反応とは相反して彼の唇が知らしめてきた情熱を「容認できなくもないもの」として受け止めかねないでいる自分の気持ちにも気付いている。
むしろ「道徳的に」好むべからず相手の挙動だったから、意識的に「嫌っている」だけに過ぎない。
しかし、抑圧すればした分だけ、むやみやたらに燃え盛ってしまうのが「恋」の「恋」たるゆえんなのである。
後に「道徳的な」事情により、知性も品性も自分の身分にふさわしい別な男性と婚約するルーシーだったが、キスのやり方ひとつとってみてもどうしても件の彼と比べられずにはいられない。
数々の紆余曲折を経た後に、ついには自分の意思に素直に従う決心をしたルーシーの見せた快心の笑顔。
気のせいではなくそれは、ジョージの見せた心からの笑顔に酷似しているように思える。
結局、最後にふたりの仲を取り持ったのは初めに邪魔をしたシャーロットだったけれども、彼女の心配りがあったからこそルーシーも自分の中で着実に気持ちを育ててゆくことが適ったのではないだろうか。
初めは何の苦労も知らない、勝手気ままな「貴族のお嬢さん」に過ぎなかったルーシーが、最後の場面でジョージに寄り添ってキスをしている場面には、成熟する過程にある危なっかしい大人の女の色香が漂っていて、単にキスをしているだけのシーンとは思えないほどに幸福な安らぎに満ちている。
それにつけても、完全なる両想いになる以前にジョージは二度のキスを仕掛けてますが、その二度が二度ともにあまりに天真爛漫で、直情的で、情熱的で、「たとえ心の底から嫌だと思っても」思わず翻意せざるを得ないくらいにストレートなぶつかり方です。
(ぶっちゃけ、このキスシーンだけでもこの映画を観る価値があると思ってしまう。)
またエンディングに使用されているプッチーニのアリア「私のお父さん」が、いつまでも余韻に酔い痴れていたい乙女心を知り尽くしているとしか思えない最高のコラボレーション。
心理戦がやたらめったら複雑な現代劇も時には良いものですが、あまりに純真無垢すぎて逆にメロメロ〜と参ってしまう古典恋愛文学も奥が深くて良いものですよ♥
(前述レビュー「コープス・ブライド」参照の事。)
1966年生まれのヘレナ・ボナム=カーターは、このとき20歳のピッチピチ。
意志の強いまなざしに、透けるように白い肌の色、そしてはち切れんばかりに柔らかな頬の薔薇色。
これほど原作にぴったりなキャスティングもないだろうと思える。
まさしく見るからに「純真無垢な世間知らずのお嬢さんが、今から”恋”のある場所に足を踏み入れますよ」というふうに、観ている者のワクワク感をそそられてしまうのだ。
付添い人であり、素行の監督官でもあり、何よりルーシーの母親からじきじきに令嬢を任されているプライドから、シャーロットは自分に出来る限りの防御策を張り巡らせるが、その隙を突き目と目を見交わしあってしまう一組の男女。
どちらかと言えばルーシーは、生まれながらに培われてきた道徳心から素直に彼のまなざしを受け入れることができないのだけれども、ほとんど一目惚れの形で純真に自分に向かってくるジョージの気持ちを跳ね除けきることもできずにいた。
とにかくジョージという男は天真爛漫で、彼女のことが「好き」という気持ちを何のためらいもなくひたすら前面に押し出してくるのだ。
挙句の果てには(なかば無理矢理)彼女のキスを奪ってしまう。
またその初めてのキス・シーンが、観ているこっちがクラリとよろめいてしまうくらいに情熱的なキスなんです。
けれども、全身から「きみのことが大好き♥」光線を照射しまくっているものだから、たとえ無言でいきなりキスを奪っても、ちっとも乱暴な感じはしないし、むしろ「ああ、もう、ほんっとに好きなんだね〜」と納得してしまうやら、感心してしまうやら。
もちろん突然そんな暴挙に出られてしまったルーシーは、世間一般の令嬢が示してみせるとおりに全身の毛を逆立てて拒絶して見せるのだけれども、表面上の反応とは相反して彼の唇が知らしめてきた情熱を「容認できなくもないもの」として受け止めかねないでいる自分の気持ちにも気付いている。
むしろ「道徳的に」好むべからず相手の挙動だったから、意識的に「嫌っている」だけに過ぎない。
しかし、抑圧すればした分だけ、むやみやたらに燃え盛ってしまうのが「恋」の「恋」たるゆえんなのである。
後に「道徳的な」事情により、知性も品性も自分の身分にふさわしい別な男性と婚約するルーシーだったが、キスのやり方ひとつとってみてもどうしても件の彼と比べられずにはいられない。
数々の紆余曲折を経た後に、ついには自分の意思に素直に従う決心をしたルーシーの見せた快心の笑顔。
気のせいではなくそれは、ジョージの見せた心からの笑顔に酷似しているように思える。
結局、最後にふたりの仲を取り持ったのは初めに邪魔をしたシャーロットだったけれども、彼女の心配りがあったからこそルーシーも自分の中で着実に気持ちを育ててゆくことが適ったのではないだろうか。
初めは何の苦労も知らない、勝手気ままな「貴族のお嬢さん」に過ぎなかったルーシーが、最後の場面でジョージに寄り添ってキスをしている場面には、成熟する過程にある危なっかしい大人の女の色香が漂っていて、単にキスをしているだけのシーンとは思えないほどに幸福な安らぎに満ちている。
それにつけても、完全なる両想いになる以前にジョージは二度のキスを仕掛けてますが、その二度が二度ともにあまりに天真爛漫で、直情的で、情熱的で、「たとえ心の底から嫌だと思っても」思わず翻意せざるを得ないくらいにストレートなぶつかり方です。
(ぶっちゃけ、このキスシーンだけでもこの映画を観る価値があると思ってしまう。)
またエンディングに使用されているプッチーニのアリア「私のお父さん」が、いつまでも余韻に酔い痴れていたい乙女心を知り尽くしているとしか思えない最高のコラボレーション。
心理戦がやたらめったら複雑な現代劇も時には良いものですが、あまりに純真無垢すぎて逆にメロメロ〜と参ってしまう古典恋愛文学も奥が深くて良いものですよ♥
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