プルートで朝食を
原題 | BREAKFAST ON PLUTO |
出演 | キリアン・マーフィ リーアム・ニーソン スティーヴン・レイ ブレンダン・グリーソン |
監督 | ニール・ジョーダン |
製作 | イギリス/2005年/127分 |
分類 | コメディ、ドラマ、ヒューマンドラマ |
感想 | ★★★★☆ |
| [ レンタル詳細 ] | |
story
アイルランドの小さな町に生まれた赤ん坊パトリック。生みの親は彼を教会の前に置き去りにして行方をくらまし、パトリックは近所に住むブレイデン家の養子として育てられる。幼い頃から綺麗なドレスやお化粧に興味を示し、周囲からは“変わり者”のレッテルを貼られるパトリック。やがて自らを“キトゥン”と名乗り、美麗な青年へと成長した彼は、居心地の悪い田舎町を飛び出し、実の母を探してロンドンへと向かうのだったが…。
review
この映画を観てからというもの、”Sugar baby love”を耳に入れた瞬間に、映画の冒頭部分がめまぐるしく甦ってしまって仕方がない。
とにかく、映像と音楽が双子のごとくにぴったり寄り添ってしまっている作品です。
ここいら辺のセンスの素晴らしさは、「流石ニール・ジョーダン監督♪」てな感じでありましたね。
主人公のパトリックは、生まれてまもなく教会の前に捨てられた。
その子を拾ったリーアム神父(リーアム・ニーソン)は、知人の家に養育の一切を依頼した。
「教会の前に捨て子」というよくあるシチュエーションかと思いきや、実はこの子はリーアム神父の落とし種だったのだ。
結婚が許されない立場であるために、村の女性に家事手伝いをお願いしているのだが、ある日代理でやって来た若い女性の魅力の前に魔がさして、ついつい関係を持ってしまったのだった。
そして、女性は生まれた子供をリーアム神父に任せた後、単身アイルランドからイギリスへと向かった。
そうして、後に成長したパトリック(キリアン・マーフィ)は、自ら”キトュン”と名乗って母親のゆくえを捜し始めるわけです。
しかし、時代はIRA(アイルランド共和軍)vsイギリスで血の日曜日事件を代表とした実に血なまぐさい混乱の渦巻いていた混迷期。
キトュンの人生にも色濃く紛争の影が付いて廻ります。
ですが、そうした政治的な背景は、シーン転換のきっかけ程度にしか描かれていないので、アイルランドのディープな世界に興味のない人でもすんなり愉しめるのではないでしょうか。
とにかく、キリアン・マーフィ演じるキトュンが綺麗!
けっこう大柄な骨格をしているのに手足が長くてスリムなので、至るところでスタイルの良さが際立っています。
70年代のヨーロッパで流行った衣装を身に着けているのですが、これが今観ても本当にセンスが良い。
そして、珍しくこの作品には36章からなるサブタイトルが付いているのですが、そのサブタイトルごとに移り変わってゆくBGMがまたセンスが良くて、眼と耳から同時に得られる恍惚感にうっとり嬉しくなってしまいます。
顔も名前も知らない母親の行方を追って単身ロンドンまで渡ってはみたものの、得られる手懸りもないままに、ただでさえ「アイルランド出身」で縁故もない状態ではロクな仕事に就けるはずもなく、しばらくは漫然と実りのない日々を過ごしていた。
時には、キャラクター・ランドでぬいぐるみを着てみたり、売春目的で知り合った紳士に殺されそうになってしまったり。
挙句の果てには、飲みに出かけたクラブが爆破され、キトゥンも負傷したが女装をしていたのが仇になり、「テロ犯人」の容疑者にされてしまう。
でも結局は、それが縁で「覗き窓」の仕事を紹介してもらえるわけですが、そこに訪ねてきたリーアム神父が「自分が父親である」ことを遠まわしに告白し、母親の所在をキトュンに伝える。
すぐさま母親の居場所を尋ねるキトュンだったが、母親は既に結婚していて、子供が居た。
見るからに幸せ色一杯の彼女に向かって、「一緒にアイルランドへ帰ろう」と切り出せるはずもなく、そのままキトュンは自分の正体をバラスことなく、リーアム神父のところに帰ってゆく。
このあたりの、リーアム神父とキトュンの関係描写がなんとも切ないのですよね。
結果的に、リーアム神父はキトュンを(あるがままに)「女」として受け入れ、自分の子供であることを公然と認めた。
だが、村の人にとってはそんなアンモラルな事実は受け入れがたい。
しばらくの間は共に幸福に暮らしていた彼らだったが、クリスマスの夜に何者かの仕業で放火され、住まいと共に教会まで無くしてしまった。
そうして最終的に、彼らはそれぞれにアイルランドを後にすることになる。
全体的に、人生に対する無常、それに付いて廻ってくる煩悶を通奏低音のようにして描いているのですが、基本がコメディタッチなので息を詰めなくても愉しんで見ていられます。
そして何よりも、世間の風評なんてお構い無しに、わが道を闊歩しているキトュンが美しくも格好良い。
本当に、キリアン・マーフィの妖艶すぎる美しさに惚れました。
彼が電話会社の女性調査員として着飾って母親のところに訪ねてゆくシーンなど、どこからみても「スタイル抜群の綺麗なおねーさん」にしか見えない。
最初のシーンでは「女装のゲイ」だとばかり思っていた彼の姿が、最後には「ひとりの女性」にしか見えなくなってしまってるのが感動的です。
ほかにも、随所に差し込まれてくるニール・ジョーダン監督お得意のファンタジックなコメディ・シーンには大いに笑わせて貰いました。
ああ、本当に好きだな〜この作品♥
70年代のポップスとファッションに興味がある人は、ぜひとも一度観てみてください。
きっと愉しめると思いますよ♪
とにかく、映像と音楽が双子のごとくにぴったり寄り添ってしまっている作品です。
ここいら辺のセンスの素晴らしさは、「流石ニール・ジョーダン監督♪」てな感じでありましたね。
主人公のパトリックは、生まれてまもなく教会の前に捨てられた。
その子を拾ったリーアム神父(リーアム・ニーソン)は、知人の家に養育の一切を依頼した。
「教会の前に捨て子」というよくあるシチュエーションかと思いきや、実はこの子はリーアム神父の落とし種だったのだ。
結婚が許されない立場であるために、村の女性に家事手伝いをお願いしているのだが、ある日代理でやって来た若い女性の魅力の前に魔がさして、ついつい関係を持ってしまったのだった。
そして、女性は生まれた子供をリーアム神父に任せた後、単身アイルランドからイギリスへと向かった。
そうして、後に成長したパトリック(キリアン・マーフィ)は、自ら”キトュン”と名乗って母親のゆくえを捜し始めるわけです。
しかし、時代はIRA(アイルランド共和軍)vsイギリスで血の日曜日事件を代表とした実に血なまぐさい混乱の渦巻いていた混迷期。
キトュンの人生にも色濃く紛争の影が付いて廻ります。
ですが、そうした政治的な背景は、シーン転換のきっかけ程度にしか描かれていないので、アイルランドのディープな世界に興味のない人でもすんなり愉しめるのではないでしょうか。
とにかく、キリアン・マーフィ演じるキトュンが綺麗!
けっこう大柄な骨格をしているのに手足が長くてスリムなので、至るところでスタイルの良さが際立っています。
70年代のヨーロッパで流行った衣装を身に着けているのですが、これが今観ても本当にセンスが良い。
そして、珍しくこの作品には36章からなるサブタイトルが付いているのですが、そのサブタイトルごとに移り変わってゆくBGMがまたセンスが良くて、眼と耳から同時に得られる恍惚感にうっとり嬉しくなってしまいます。
顔も名前も知らない母親の行方を追って単身ロンドンまで渡ってはみたものの、得られる手懸りもないままに、ただでさえ「アイルランド出身」で縁故もない状態ではロクな仕事に就けるはずもなく、しばらくは漫然と実りのない日々を過ごしていた。
時には、キャラクター・ランドでぬいぐるみを着てみたり、売春目的で知り合った紳士に殺されそうになってしまったり。
挙句の果てには、飲みに出かけたクラブが爆破され、キトゥンも負傷したが女装をしていたのが仇になり、「テロ犯人」の容疑者にされてしまう。
でも結局は、それが縁で「覗き窓」の仕事を紹介してもらえるわけですが、そこに訪ねてきたリーアム神父が「自分が父親である」ことを遠まわしに告白し、母親の所在をキトュンに伝える。
すぐさま母親の居場所を尋ねるキトュンだったが、母親は既に結婚していて、子供が居た。
見るからに幸せ色一杯の彼女に向かって、「一緒にアイルランドへ帰ろう」と切り出せるはずもなく、そのままキトュンは自分の正体をバラスことなく、リーアム神父のところに帰ってゆく。
このあたりの、リーアム神父とキトュンの関係描写がなんとも切ないのですよね。
結果的に、リーアム神父はキトュンを(あるがままに)「女」として受け入れ、自分の子供であることを公然と認めた。
だが、村の人にとってはそんなアンモラルな事実は受け入れがたい。
しばらくの間は共に幸福に暮らしていた彼らだったが、クリスマスの夜に何者かの仕業で放火され、住まいと共に教会まで無くしてしまった。
そうして最終的に、彼らはそれぞれにアイルランドを後にすることになる。
全体的に、人生に対する無常、それに付いて廻ってくる煩悶を通奏低音のようにして描いているのですが、基本がコメディタッチなので息を詰めなくても愉しんで見ていられます。
そして何よりも、世間の風評なんてお構い無しに、わが道を闊歩しているキトュンが美しくも格好良い。
本当に、キリアン・マーフィの妖艶すぎる美しさに惚れました。
彼が電話会社の女性調査員として着飾って母親のところに訪ねてゆくシーンなど、どこからみても「スタイル抜群の綺麗なおねーさん」にしか見えない。
最初のシーンでは「女装のゲイ」だとばかり思っていた彼の姿が、最後には「ひとりの女性」にしか見えなくなってしまってるのが感動的です。
ほかにも、随所に差し込まれてくるニール・ジョーダン監督お得意のファンタジックなコメディ・シーンには大いに笑わせて貰いました。
ああ、本当に好きだな〜この作品♥
70年代のポップスとファッションに興味がある人は、ぜひとも一度観てみてください。
きっと愉しめると思いますよ♪
"Breakfast on Pluto" deleted scene 1〜4"
※それぞれ初めの数秒に画像の乱れがありますが、観られますのでご安心を(*´ェ`*)
※それぞれ初めの数秒に画像の乱れがありますが、観られますのでご安心を(*´ェ`*)
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