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天井桟敷の人々
原題 | LES ENFANTS DU PARADIS |
出演 | アルレッティ ジャン=ルイ・バロー マリア・カザレス マルセル・エラン ピエール・ブラッスール ルイ・サルー ジャヌ・マルカン シモーヌ・シニョレ ジャン・カルメ |
監督 | マルセル・カルネ |
製作 | フランス/1945年/195分 |
分類 | ドラマ、ラブロマンス |
感想 | ★★★★☆ |
[ レンタル詳細 ] |
story
■ 第一部1840年代のパリのタンプル大通りにて、裸に近い踊りで人気のガランスに、パントマイム役者バティストは恋をする。犯罪詩人ラスネールや俳優ルメートルも彼女に夢中。一方、バティストの属する一座の座長の娘ナタリーはバティストを愛していた。ラスネールと悶着のあったガランスもその一座に加わるが、彼女の前には新たな崇拝者モントレー伯が現れる…。
■ 第二部
それから5年後、バティストはナタリーと、ガランスは伯爵と結婚していた。しかし、ガランスを忘れられぬバティストはルメートルの手引きで彼女と再会する。
review
この映画のレビューを書くに当たって、映画に関する背景をいろいろ調べてみて非常に驚きました。
ひとつ、この映画が、第二次世界大戦の真っ最中に撮られた映画であったこと。
事前に1945年に作られた映画だということは確認していたんですが、何の疑問も持たずに戦後すぐに撮られた映画だと思い込んでいたのですよね。
しかも撮影開始が1943年といいますから、まさにナチス・ドイツ占領下のフランスで、3時間を越える映画が撮られていたわけです。
もうひとつは、不勉強ながらフランス全土が占領下にあったものと思い込んでいたこと。
実際は、フランス中部、東南部、地中海岸地方が非占領地だったので、一部の撮影は南仏ニースで行われました。
そんな時代にエキストラを2000人も用意して、全長400mにも及ぶセットを作り上げてしまうのだから、驚くべき芸術家魂であります。
そうした背景を別にしても、たまらなく魅力に溢れているこの作品。
なにしろバティスト(ジャン=ルイ・バロー)が恋に落ちる瞬間からして素敵。
ある日、いつものように劇場前に設けたステージ上でパントマイムの用意をしていたバティスト、それを観ていたガランス(アルレッティ)が、混乱に乗じて泥棒の疑いをかけられました。
警官に詰め寄られて当惑するガランス。
そこで、とっさにバティストが機転を利かして、パントマイムでガランスの無実を晴らすのです。
ガランスはそっとバティストのステージに近寄って、照れて無関心を装うバティストに一輪の薔薇を投げ渡し、驚く彼に投げキッスを残して立ち去った。
ひとことの会話も交さずに、けれども、実に可愛らしい仕草ひとつで。
クドクドお礼を言われるよりも、ずっとそのほうが嬉しいと思っちゃう。
かくしてバティストは、一目で彼女に恋をしてしまうわけです。
また一人、彼女に恋する男がフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)。
彼は典型的な二枚目の女たらしで、あるとき通りでガランスに出会います。
朗々と口説きの文句を浴びせかけるのに、ガランスは慣れた態度でそれをあしらう。
あっけなく彼女に振られてしまったルメートルでしたが、その直後にまた同じ口説き文句で別の女性を馴れ馴れしく口説いている。
そうしたサマが実に似合ってしまう男なんですが、意外に芯は人情味溢れるタイプで憎めません。
そして、まさにここでのシーンがニースでの撮影現場だったわけですが、まさか戦争中だったなんて信じられないような賑わいようです。
道行く女性達のドレスが実にカワイイ。
いったいどうやってこれらの装飾を用意できたのか不思議です。
ガランスを取り巻いて、複雑に入り乱れあう男性4人の人間模様。
バティストは巧みな演技の無言劇で、聴衆とガランスの心を魅了する。
舞台の上でもバティストは切ない恋をしている主人公。
世を儚んで首を吊ろうとしてみても、通りすがりの少女にそのロープを奪われてしまう。
当惑するバティストの目の前で、愉しそうに縄跳びに興じてみせる少女。
また、あとからきた洗濯女は、洗濯物を干すからロープを持っていろとバティストに要求する。
悲恋を悲しむことすら許されない、可愛そうなバティスト。
しかし、やっぱり現実のほうが彼に酷くて、やがてガランスと両想いになるバチィストだったが、再びガランスに降りかかる冤罪で、二人は離れ離れになってしまう。
第二部は、もう最初から悲恋の様相を呈していました。
目の前から消えてしまったガランス。
独り身の寂しさに耐えかねて別の女性と結婚してしまうバティストでしたが、伯爵夫人になることで無実の罪から逃れたガランスと、一度はめでたく思いを遂げます。
しかし、お互いに既婚者であることの障害から、最終的に自ら身を引く決意をするガランス。
考えてみれば、再三ガランスに無実の罪を着せている無頼詩人のラスネール(マルセル・エラン)も、最後まで汚い男なんですが、彼も彼なりにガランスに対して精一杯純真で有り続けたのかと思えば、微妙なところで憎めません。
結果的に最後まで誰一人幸せになれない悲恋の物語なんですが、ドロドロしていても、やはりどこか皆上品で、「死」が日常に存在していたはずの戦時下で、登場人物がみな恋に命を懸けていて、凄惨な時代だったからこそ、誰しも幸福な気分を味わえるハッピー・エンドにしてしまわずに、完璧な悲恋に落ち着けてしまえるところが、戦時下のフランスから逃げ出さずに、あくまでフランスで映画を撮り続けることにこだわった、フランス・パリ出身の監督:マルセル・カルネの最高の意思表示だったんだろうなァ?、と僭越ながらに思います。
とにかく戦後生まれの若輩者には、もっともらしく説明なんてできっこありません。
薀蓄なんてなにひとつ知らなくても、十二分に愉しめる映画だと思います。
機会があったら、一度ご覧になってくださいね。
ひとつ、この映画が、第二次世界大戦の真っ最中に撮られた映画であったこと。
事前に1945年に作られた映画だということは確認していたんですが、何の疑問も持たずに戦後すぐに撮られた映画だと思い込んでいたのですよね。
しかも撮影開始が1943年といいますから、まさにナチス・ドイツ占領下のフランスで、3時間を越える映画が撮られていたわけです。
もうひとつは、不勉強ながらフランス全土が占領下にあったものと思い込んでいたこと。
実際は、フランス中部、東南部、地中海岸地方が非占領地だったので、一部の撮影は南仏ニースで行われました。
そんな時代にエキストラを2000人も用意して、全長400mにも及ぶセットを作り上げてしまうのだから、驚くべき芸術家魂であります。
そうした背景を別にしても、たまらなく魅力に溢れているこの作品。
なにしろバティスト(ジャン=ルイ・バロー)が恋に落ちる瞬間からして素敵。
ある日、いつものように劇場前に設けたステージ上でパントマイムの用意をしていたバティスト、それを観ていたガランス(アルレッティ)が、混乱に乗じて泥棒の疑いをかけられました。
警官に詰め寄られて当惑するガランス。
そこで、とっさにバティストが機転を利かして、パントマイムでガランスの無実を晴らすのです。
ガランスはそっとバティストのステージに近寄って、照れて無関心を装うバティストに一輪の薔薇を投げ渡し、驚く彼に投げキッスを残して立ち去った。
ひとことの会話も交さずに、けれども、実に可愛らしい仕草ひとつで。
クドクドお礼を言われるよりも、ずっとそのほうが嬉しいと思っちゃう。
かくしてバティストは、一目で彼女に恋をしてしまうわけです。
また一人、彼女に恋する男がフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)。
彼は典型的な二枚目の女たらしで、あるとき通りでガランスに出会います。
朗々と口説きの文句を浴びせかけるのに、ガランスは慣れた態度でそれをあしらう。
あっけなく彼女に振られてしまったルメートルでしたが、その直後にまた同じ口説き文句で別の女性を馴れ馴れしく口説いている。
そうしたサマが実に似合ってしまう男なんですが、意外に芯は人情味溢れるタイプで憎めません。
そして、まさにここでのシーンがニースでの撮影現場だったわけですが、まさか戦争中だったなんて信じられないような賑わいようです。
道行く女性達のドレスが実にカワイイ。
いったいどうやってこれらの装飾を用意できたのか不思議です。
ガランスを取り巻いて、複雑に入り乱れあう男性4人の人間模様。
バティストは巧みな演技の無言劇で、聴衆とガランスの心を魅了する。
舞台の上でもバティストは切ない恋をしている主人公。
世を儚んで首を吊ろうとしてみても、通りすがりの少女にそのロープを奪われてしまう。
当惑するバティストの目の前で、愉しそうに縄跳びに興じてみせる少女。
また、あとからきた洗濯女は、洗濯物を干すからロープを持っていろとバティストに要求する。
悲恋を悲しむことすら許されない、可愛そうなバティスト。
しかし、やっぱり現実のほうが彼に酷くて、やがてガランスと両想いになるバチィストだったが、再びガランスに降りかかる冤罪で、二人は離れ離れになってしまう。
第二部は、もう最初から悲恋の様相を呈していました。
目の前から消えてしまったガランス。
独り身の寂しさに耐えかねて別の女性と結婚してしまうバティストでしたが、伯爵夫人になることで無実の罪から逃れたガランスと、一度はめでたく思いを遂げます。
しかし、お互いに既婚者であることの障害から、最終的に自ら身を引く決意をするガランス。
考えてみれば、再三ガランスに無実の罪を着せている無頼詩人のラスネール(マルセル・エラン)も、最後まで汚い男なんですが、彼も彼なりにガランスに対して精一杯純真で有り続けたのかと思えば、微妙なところで憎めません。
結果的に最後まで誰一人幸せになれない悲恋の物語なんですが、ドロドロしていても、やはりどこか皆上品で、「死」が日常に存在していたはずの戦時下で、登場人物がみな恋に命を懸けていて、凄惨な時代だったからこそ、誰しも幸福な気分を味わえるハッピー・エンドにしてしまわずに、完璧な悲恋に落ち着けてしまえるところが、戦時下のフランスから逃げ出さずに、あくまでフランスで映画を撮り続けることにこだわった、フランス・パリ出身の監督:マルセル・カルネの最高の意思表示だったんだろうなァ?、と僭越ながらに思います。
とにかく戦後生まれの若輩者には、もっともらしく説明なんてできっこありません。
薀蓄なんてなにひとつ知らなくても、十二分に愉しめる映画だと思います。
機会があったら、一度ご覧になってくださいね。
参考文献
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